コラム

洗い加工のこと

  15年くらい前になるでしょうか。製品洗いといって、縫製してから洗って製品にするので、デニムの製品で、洗いをかけたものはあったのですが、デニム生地に同じ洗い加工をしているものはありませんでした。児島のデニムの…

懐かしいお話もありますが、

HPをリニューアルするのに、昔話など読み返してみたら、結構おもしろい記事が、たくさんありました。 それにしても、何十年も生地に携わっているのに、未だに知らないことが、多すぎて、この業界って 本当に大変な世界だと思います。…

ネット販売18年目に思うこと2 アウトレットファブリックスのはじまり。

アウトレットファブリックスを運営しているのは、もともとは生地やさんなのですが、オーナーが、以前某有名ナショナルチェーンのファッション専門店の商品企画をしていたということで、製品もたくさん作って販売していました。もちろん必…

ネット販売18年目に思うこと1

最近は、ネットの生地屋さんも本当にたくさんなのですが、私どもが始めた18年前には、「生地」で検索したら、パン生地とかうどんの生地とかばかりがヒットして、長年、生地やさんをやっているのですが、ひょっとして私どもが扱っている…

内藤ルネさんのこと

はじめて内藤ルネさんのことを知ったのは、たしか「私の部屋」という雑誌が創刊されたときのことです。1970年代(昭和47年くらいだったでしょうか)、その雑誌で見たものは、イラストだはなく、内藤ルネコレクションのビスクドール…

土佐つむぎのこと

1980年くらいのお話になります。 パッチワーク教室をやっていたころ、教室の先生からどうしても、土佐つむぎを使った作品を作りたいという要望があって、それでは探して見ましょうとさっそく、高知の織り元へでかけました。ラッキー…

ちりめんを作った

1980年くらいの話ですが、どうしても、ちりめん素材が欲しくて、探していたところ、レーヨンのちりめんの風呂敷をみつけました。これが反物であったら服になるのにと思って、さっそく、京都の風呂敷やさんへ。とりあえず、風呂敷にカ…

はじめてのパッチワーク教室

1980年くらいにはパッチワーク教室なるものをやっていました。 優秀な先生に恵まれて、こじんまりとした教室でしたが、そうなんです石油ストーブのある、ひなびた(失礼)公民館で、5~6人の生徒さん達と、わいわいがやがや楽しく…

一番最初に作ったオリジナルプリント

まだ、木綿のプリントもあまり作られていない頃のお話です。京都の染工場で何かプリントするものがあれば、作ってあげますという、うれしい話をもらい、さて、何をプリントしてもらおうかと考えました。機械でプリントするのでしたら、ロ…

昔は自分で染めていた

1975年くらいのお話なのですが、綿の無地って、種類がありませんでした。、シーティングの色物さえないのですから、仕方がないので、自分で染めていました。その頃、いろんな色を染めて、ブランケットステッチでアップリケをして、風…