1980年くらいにはパッチワーク教室なるものをやっていました。
優秀な先生に恵まれて、こじんまりとした教室でしたが、そうなんです石油ストーブのある、ひなびた(失礼)公民館で、5~6人の生徒さん達と、わいわいがやがや楽しくやっておりました。まだ、広島では、教室らしいものは他になかった様な気がします。
なにしろ、使う生地も、花柄も無地もブロードしかなかったし、キルト綿というものもなかったので、すべてドミット芯を使っていました。その後、ぼちぼちとパッチワーク用にUSAコットンとかも出てきて、針のとうりやすいエイティスケアなどもできてきたようです。それにしても、その後のパッチワークブームのすごさには圧倒されました。こんなに早くからパッチワークを手がけてたのですから、もっと本腰を入れて、パッチワークに専念してたら、蔵が建ってたかも、、こんな話ばっかりです。(笑)
ついでですが、トールペイントも、まだ材料もあまり売ってないときに、見よう見真似で描いてました。考えれば空恐ろしいことですが、いまだに我が家のリビングには作品が飾られています。トールペイントも真面目に取り組めば、もう一軒蔵が建っていたのですが(笑)
2019年 追記 ひなびた公民館は、現在、とても立派な建物になっています。