内藤ルネさんのこと

はじめて内藤ルネさんのことを知ったのは、たしか「私の部屋」という雑誌が創刊されたときのことです。1970年代(昭和47年くらいだったでしょうか)、その雑誌で見たものは、イラストだはなく、内藤ルネコレクションのビスクドールのすごさでした。ジュモーをはじめ、驚きのコレクションでした。今でこそコレクターも情報もたくさんあって、人気のビスクドールですが、45年前にこれだけのコレクションを見せられて圧倒されたのを覚えています。この人はいったい何者なんだというのが第一印象でした。

内藤ルネさんは、もともと、中原淳一氏に師事し、「ひまわり」 「それいゆ」の編集を手伝いながら、カットを描かれていたようです。その後、ファッション雑貨をはじめ、ご自分のデザインのファンシーグッズなどを作って、販売されていました。現在のキャラクター商品の先駆けというところでしょうか(ちょっと表現がわるいかもしれませんが)

たくさんのキャラクターの中でも有名なのが、ルネパンダです。
ルネパンダはロンドン動物園で見たパンダをキャラクター化して、陶器や文具にして展開しましたが、この翌年に上野動物園にはじめてパンダがやってきて、大ブームになったそうです。ブームになる前に作ってるところがすごいですね。

そして、このルネパンダはいまだにパンダキャラクターの原点になっているそうです。

もうひとつ驚かされたのは、日本古来の市松人形をアレンジして、すわらせていたことです。今では驚かないかもしれませんが、普通は立ったままのかわいいおかっぱ頭の市松人形が古い階段タンスにならんで座っているのは、本当に新鮮でした。これは内藤ルネさんが市松人形の足を曲がるようにして、座らせたもので、また、着物も古い着物(今ブームの古布ですよね)を探し出して作ったものでした。

これに影響を受けて、さっそく大阪の松屋町で裸の市松人形をさがして、足の詰め物をぬいて座らせるようにして、着物も縫ってやりました。今なら誰でも知っていることなのでしょうが、当時は驚きでした。

その頃、京都の四条河原町(河原町より少し西)にあった「私の部屋」に足しげく通っていて、内藤ルネさんデザインのビスクドールも買っていましたが、現在行方不明。
今回、内藤ルネさんのことを話していて、このドールがすごく貴重だということをしりました。探さなくっちゃ(笑)

おまけですが、内藤ルネさんの「ルネ」という名前は、ご本人が映画監督のルネ クレマンが好きだということで、つけたそうです。