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むかし話 生地のあれこれ
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ネット販売18年目に思うこと2 アウトレットファブリックスのはじまり。

アウトレットファブリックスを運営しているのは、もともとは生地やさんなのですが、オーナーが、以前某有名ナショナルチェーンのファッション専門店の商品企画をしていたということで、製品もたくさん作って販売していました。もちろん必要な生地は、生地を作ることからメーカーさんに別注で依頼して作ってもらっていたのですが、バブルがはじけた頃から、やはり販売数量が落ちてしまって、欲しい生地を作ってもらうのですが、ロット分を消化できない状態になってしまいました。

在庫でかかえてしまうと次に新しい生地を作ることができないので、それなら、残りのものは原価でもいいので、ネットで販売してみようかということになって、たちあげたのが、アウトレットファブリックスなのです。お店での販売価格とネットでの販売価格が違うのもこういった始まりがあるからです。

お近くの方で、直接ご来店いただく方もいらっしゃいますが、ネットの商品は、一部しか店頭においていませんし、直接お店でお買い求めいただく場合は、ネットの価格になりませんので、HPからご注文いただいて、お店にとりに来ていただくというシステムにさせていただいてます。こんな訳で、少しお安いお値段のネットショップ、アウトレットファブリックスが誕生しました。

2025-03-02 16:00:58

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ネット販売18年目に思うこと1

最近は、ネットの生地屋さんも本当にたくさんなのですが、私どもが始めた2001年ころには、「生地」で検索したら、パン生地とかうどんの生地とかばかりがヒットして、長年、生地やさんをやっているのですが、ひょっとして私どもが扱っている商品は、「生地」と呼ばないのかもしれないと本気で思いました。(笑)

布地をつけくわえて「生地と布地のアウトレットファブリックス」というお店の名前になってしまったのも、そんな訳があったのです。

2025-03-02 15:58:59

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内藤ルネさんのこと

はじめて内藤ルネさんのことを知ったのは、たしか「私の部屋」という雑誌が創刊されたときのことです。1970年代(昭和47年くらいだったでしょうか)、その雑誌で見たものは、イラストだはなく、内藤ルネコレクションのビスクドールのすごさでした。ジュモーをはじめ、驚きのコレクションでした。今でこそコレクターも情報もたくさんあって、人気のビスクドールですが、45年前にこれだけのコレクションを見せられて圧倒されたのを覚えています。この人はいったい何者なんだというのが第一印象でした。

内藤ルネさんは、もともと、中原淳一氏に師事し、「ひまわり」 「それいゆ」の編集を手伝いながら、カットを描かれていたようです。その後、ファッション雑貨をはじめ、ご自分のデザインのファンシーグッズなどを作って、販売されていました。現在のキャラクター商品の先駆けというところでしょうか(ちょっと表現がわるいかもしれませんが)

たくさんのキャラクターの中でも有名なのが、ルネパンダです。
ルネパンダはロンドン動物園で見たパンダをキャラクター化して、陶器や文具にして展開しましたが、この翌年に上野動物園にはじめてパンダがやってきて、大ブームになったそうです。ブームになる前に作ってるところがすごいですね。

そして、このルネパンダはいまだにパンダキャラクターの原点になっているそうです。

もうひとつ驚かされたのは、日本古来の市松人形をアレンジして、すわらせていたことです。今では驚かないかもしれませんが、普通は立ったままのかわいいおかっぱ頭の市松人形が古い階段タンスにならんで座っているのは、本当に新鮮でした。これは内藤ルネさんが市松人形の足を曲がるようにして、座らせたもので、また、着物も古い着物(今ブームの古布ですよね)を探し出して作ったものでした。

これに影響を受けて、さっそく大阪の松屋町で裸の市松人形をさがして、足の詰め物をぬいて座らせるようにして、着物も縫ってやりました。今なら誰でも知っていることなのでしょうが、当時は驚きでした。

その頃、京都の四条河原町(河原町より少し西)にあった「私の部屋」に足しげく通っていて、内藤ルネさんデザインのビスクドールも買っていましたが、現在行方不明。
今回、内藤ルネさんのことを話していて、このドールがすごく貴重だということをしりました。探さなくっちゃ(笑)

おまけですが、内藤ルネさんの「ルネ」という名前は、ご本人が映画監督のルネ クレマンが好きだということで、つけたそうです。

2025-02-27 14:03:38

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土佐つむぎのこと

1980年くらいのお話になります。
パッチワーク教室をやっていたころ、教室の先生からどうしても、土佐つむぎを使った作品を作りたいという要望があって、それでは探して見ましょうとさっそく、高知の織り元へでかけました。ラッキーなことに、当時のお店の隣がたまたま四国銀行(高知市本店)広島支店で、取引もあったので、すぐに紹介していただいて、すぐに取引ができるという、異例の早さで商品を手に入れることができました。

高知の織り元では、工場も見学させていただいて、感激して帰って来ました。ちりめん同様、無地と独特の縞柄が売り場を彩りました。この商品を使って作ったもので、記憶に残っているのは、パフクッションで作ったコタツカバーです。土佐つむぎの素朴な感じが十分に発揮された作品で、今でもはっきりと覚えています。その後、大手のメーカーさんから、続々と土佐つむぎが売り出されました。現在は、残念ですが取り扱ってません。なんでも必要なものは作り出そうという意欲だけは受け継いでいます。

2019年 追記 そんな土佐つむぎの織元も、何年か前にすべて廃業されたみたいで、さみしい限りです。
 

2025-02-27 13:52:13

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ちりめんを作った

1980年くらいの話ですが、どうしても、ちりめん素材が欲しくて、探していたところ、レーヨンのちりめんの風呂敷をみつけました。これが反物であったら服になるのにと思って、さっそく、京都の風呂敷やさんへ。とりあえず、風呂敷にカットされる前の反物を手にいれて、やりくりしていたが、どうも、柄とか色とかが気にいらない。

そこで、こちらから図案をもっていって染めてもらうことにしたのですが、何といっても、業界がちがうので、なかなか自分の思いがつたわらないんです。とうとう、自分で全部やることになってしまいました。当時はパソコンなんてなかったので、ひとつの柄に4配色をつけるのは、もう大変な作業で、夜どうしかかってやっていました。
もうひとつ、風呂敷の単位で染めているので、ジョイントといって、染めの型のつなぎ目が目立たない様にするのが、一苦労でした。
そんな、こんなで、当分の間、無地と柄のレーヨンのちりめんがお店を彩っていたのです。
 

2025-02-24 17:52:37

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はじめてのパッチワーク教室

1980年くらいにはパッチワーク教室なるものをやっていました。
優秀な先生に恵まれて、こじんまりとした教室でしたが、そうなんです石油ストーブのある、ひなびた(失礼)公民館で、5~6人の生徒さん達と、わいわいがやがや楽しくやっておりました。まだ、広島では、教室らしいものは他になかった様な気がします。

なにしろ、使う生地も、花柄も無地もブロードしかなかったし、キルト綿というものもなかったので、すべてドミット芯を使っていました。その後、ぼちぼちとパッチワーク用にUSAコットンとかも出てきて、針のとうりやすいエイティスケアなどもできてきたようです。それにしても、その後のパッチワークブームのすごさには圧倒されました。こんなに早くからパッチワークを手がけてたのですから、もっと本腰を入れて、パッチワークに専念してたら、蔵が建ってたかも、、こんな話ばっかりです。(笑)

ついでですが、トールペイントも、まだ材料もあまり売ってないときに、見よう見真似で描いてました。考えれば空恐ろしいことですが、いまだに我が家のリビングには作品が飾られています。トールペイントも真面目に取り組めば、もう一軒蔵が建っていたのですが(笑)

2019年 追記 ひなびた公民館は、現在、とても立派な建物になっています。
 

2025-02-24 17:50:58

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一番最初に作ったオリジナルプリント

まだ、木綿のプリントもあまり作られていない頃のお話です。京都の染工場で何かプリントするものがあれば、作ってあげますという、うれしい話をもらい、さて、何をプリントしてもらおうかと考えました。機械でプリントするのでしたら、ロットが大きくなって、とても、ちょっと作ってみるなんて事できないのですが、友人の知り合いでしたので本当に少ないロットでプリントしていただきました。
(機械でのプリントはスクリーンプリントでも最低ロット1800mくらいでしょうか)

京都の着物の型をそめていたところで、渋紙の切り型が、ずいぶん昔のものから保存されていたのを印象深く覚えています。手捺染といって、型を作って、手作業でプリントするスクリーンプリントです。

それで、結局その由緒ある染工場で作ってもらったのが、あろうことか「市松人形」の表、裏のプリントなんです。「市松人形」ってご存知でしょうか。おかっぱ頭の日本に昔からある人形です。当時(30年くらい前です)内藤ルネさんというコレクターがいらっしゃって、ジュモーの人形なんかのコレクションを拝見してたのですが、とても高価で、手が届かないので、「市松人形」の本体のみを大阪の松屋町で手にいれて、古い着物をほどいて(今でいうところの古布です)おすわりのできる「市松人形」を作って喜んでいたわけで、普通の人から見ると、ちょっと変わった人間だった様です。

話が横道にそれましたが、要は、その「市松人形」の表側と裏側をイラストにして、生成りの生地をベースにプリントしてもらったわけです。ちょうどアンとアンディなんかでも、切りぬいたら、人形になるという状態のものです。これは、自分で言うのもなんですが、すごくかわいかったです。一枚でもっとっとけばよかったのですが、残念ながらSOLDOUTです。

2025-02-24 17:48:31

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昔は自分で染めていた

1975年くらいのお話なのですが、綿の無地って、種類がありませんでした。、シーティングの色物さえないのですから、仕方がないので、自分で染めていました。その頃、いろんな色を染めて、ブランケットステッチでアップリケをして、風景画などを作って喜んでいました。

そうしてると、お客様が、その生地を欲しいといわれる事になり、染めて売るのですが、何しろ工場ではないですから、毎晩、お風呂と大きなホーローの窯で、生地を染めるのと格闘していました。

染めるのも大変なら、乾かすのも大変でした。キャンバスとかコール天とかも染めていました。
アップルハウスさん 原宿コットンハウスさんなども、この頃から、染められていたのだと思います。
家内工業で染めてもらうところを見つけたのもつかのま、オイルショックで廃業されてしまいました。

そうこうしているうちに、やっとシーティングのカラーが世にでてきて、しかも、ニューフリーズ加工とかすごくいいものがでてきました。お蔭でずいぶん楽になりましたし、こんな色が欲しいといえば、すぐに染めてもらえました。

でも、現在はカラーシーティングといえば、なんだか、売りだしの目玉商品に定着してしまって、さみしいかぎりです。もちろん、いろいろあるのですが、ほとんど中国製におされています。
本当は国産のいい生地が扱いたいのですが、同じシーティングという名前で、アウトレットファブリックスの仕入れ値段の方が一般に売られている小売り価格よりはるかに高いのです(笑)。
 

2025-02-24 17:45:22

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